京極堂戯作

配役

古本問屋……中禅寺秋彦 
  戯作者……関口巽
  旗本次男……榎木津礼二郎、    
  同心……木場修太郎  
  岡っ引き……益田龍一  
  悪代官……堂島静幹  
 悪戯作者……久保竣公

 
 
 花のお江戸は八百八町……とまぁ、何かの時代劇の歌詞にもございますが、何とも華
やかなこの町だからこそ、事件というものは常に絶えないものであります。
 普段は、古本問屋の京極堂には、主人である中禅寺を筆頭に、ちょいと内気で陰気な
戯作者関口と、対照的に奇気で陽気な旗本次男の榎木津。そして同心、木場の溜まり場
になっておりました。
 そこにやってきたが、岡っ引き益田。


「てぇへんだ、てぇへんだ、てぇへんだぁぁ!」
「おう、どうしたんだ益公」
 それまで縁側でキセルを蒸かせていた木場は、眉間にしわを寄せた。うるさい岡っ引きの登場に眉
を寄せたのか、煙を深く吸い込んで眉を寄せているのか、どちらかは分からないが、兎に角眉間にし
わを寄せたせいで、ただでさえ強面がさらに強面になった。
「あ!皆さんおそろいで。いや、てぇへんなんすよ!皆さんそんな悠長に構えている場合じゃないん
す!」
 内容も言わず騒ぎ立てる岡っ引きに、関口はだるそうに動かしていた筆を止めて、溜息混じりに言
った。
「君の大変というのもねぇ……この前は、猫が溺れたって話だったっかな」
「あ、あれは、ここの猫かと思ったんすよ!」
「あははは、馬鹿オロカ。その前は、スリを捕まえたと言って自慢していたな!」
 腹を抱えて笑い出す榎木津に、益田はさっと顔色を失う。その事実は榎木津は知らない筈だが、彼
は益田の過去を見たのであろう。
 木場が不機嫌そうに付け足した。
「擦られた方を、間違えて捕まえていたことも分からずにな」
「あ、あれは、擦られた商人の親父があまり怖い顔だったから」
「面で判断してんじゃねー!」
「は、はい!そ、そうすよね!そんな顔をして同心やっている木場の旦那がいるくらいですし」
「てめぇ、けんか売ってるのか?」
 木場は立ち上がり、益田に掴みかかる。その様子をみて、さらに声を立てて笑う榎木津に、京極堂
はいささか煩そうに顔をしかめながら、古文書を閉じた。
「で、何があったんだね、益田君」
「そ、それですよ!中禅寺さん!ほら、木場の旦那。目くじらたてないの」
 危うく殴られそうになった所、京極堂の問いかけは渡りに船だった。益田の胸倉をつかんでいた木
場は、不本意ながらもその手を離す。
「ふん、一応話は聞いてやる。話の内容によってはぶん殴る」
「そんなこと言っている場合じゃないんすよ、お敦さんが見知らぬ男と一緒に歩いているのを見たんで
す」
「敦ちゃんが ?」
 声をあげたのは、榎木津であった。関口はまじまじと益田を見ながら尋ねる。
「えっと鳥口くんとか、もしかしたら青木君とかじゃなくて?」
「青木は奉行所で缶詰のはずだ。この前の事件の報告を書いているからな」
 木場は灰吹の中に、キセルの灰をたたき入れた。
「じゃあ鳥口君じゃないのか?」
「うへぇなあの男じゃないですよ。本当に知らない男だったんすから……妙に上品ぶっていて、髪の
かたちが嫌に整ってましてね。線が細そうなカンジで、ああ、そういえば片方の腕に箱を抱えてました
よ。やったら大切そうに」
「あれ、それって同じ作家やっている久保君に似ているな。でも一緒に歩いているだけなら、問題な
いだろう?」
「もちろん!それだけなら問題ないっす!でも、見たんです!その男、密かに見えないように、刀を突
きつけていたんですよ!。通行人の人間には見えないみたいですけどね、僕の角度からはちょうど
陽の角度で、刃物がきらりと」
「それを早く言え!」
 げんこつを食らわす木場に、益田は頭を押さえて涙目を浮かべた。
「結局殴るんじゃないですか」
 京極堂は本を置いて、立ち上がった。
「益田くん、その男は敦子と一緒にどこへ?」
「もっちろん、ぬかりなく尾行しましたよ!あそこです、代官の堂島様のお屋敷ですよ」
「堂島……」


 ところ変わって、ここは代官堂島邸でございます。屋敷の主、堂島と向き合うは、戯作者久保竣公。後ろ
には腕を縛られている美しい娘、お敦の姿が!


「お代官様、こちらがお約束の娘で」
  久保は後ろで縄を解こうと必死になっている娘をちらりと一瞥してから、代官に頭を下げる。堂島代
官、肘掛けに悠然とよりかかりながら、満足そうに頷く。
「うむ……この娘をこちらに確保しておけば、あの者は必ずここへ」
  お敦は、悔しそうに二人を睨む。
 彼女はつい先ほど、義姉に頼まれた買い物をして、帰路を歩いていた。途中、露店のかんざしに目
を奪われ、そこで立ち止まったのがいけなかったのか。
 夢中になってかんざしをみていた所、後ろから不意に刃物を突きつけられた。
 人混みの中、密かに突きつけられた刃物。店主に助けを求めたかったが、商売熱心さにかける店
主は、椅子に腰掛けたまま熟睡。
 この簪屋もこの代で終わりね……などと、いらぬ心配をしながらも、連れて来られたのがここであっ
た。
「お代官様、それでは約束のものを」
「うむ、要望通り、五〇両分の一分金を用意した。君が好きなみっしりになるように、詰めてみたが」
「みっしりですね、お代官様はよく分かっていらっしゃる。小判ではみっしりが不可能なので、私はい
つもこのように金を保存しています」
「フフフ……みっしりか」
「みっしりです」
「フフフ……」
「ククク……」


 堂島邸、不気味な笑い声が響く夜でございます。
 さて、場所は京極堂に戻り、京極の妹お敦が、代官屋敷に連れて行かれたという報告を益田から聞い
た一同は、彼女をいかにして救出するか相談をしている様子でございます。 が、この面子で相談というのは、
あまり成り立った試しがございません。講談社文庫数ページ分のうんちくをたれた京極堂、それに分かったの
か、分かってないのか、飛躍した答えを言う榎木津。木場は何でもいいから、兎に角、強行突破。代官屋
敷に乗り込んでやると意気込む始末。そうして、読者の心の叫びを代弁する戯作者、関口の問いかけで、コ
トは纏まるのでありました。


「で、これからどうするつもりなんだ。京極堂」
「だから、さっきから言っているだろう。君の無能さに合わせている場合じゃないんだ」
「……君は端的に言うとか、かいつまんで言う芸当を、もう少し身につけた方がいいんじゃ」
 ぼそぼそ呟く戯作者の言葉は、誰の耳にも届いていなかった。ただ一人榎木津が笑ってその頭を
叩く。
「猿!どうせ、お前は役に立たぬのだから、理解する必要はない」
「そうは言うけどね、僕だって敦ちゃんは心配だし」
「まぁ、無能な猿のために、僕が一言で言ってやろう。京極一人が屋敷にいけば、敦ちゃんは返して
もらえるのだ」
「じゃあ行けばいいじゃないか」
「そこが猿だな!その代わり京極が今度は帰って来なくなる」
「どうしてだ?」
 そこで榎木津、にやりと笑ってさらに語る。
「あの馬鹿代官は、京極を仲間に引き入れたいのだ。自分が今やっている実験の為に、この男の力
が欲しいと思っている」
「一人でやれよ、そんなこたぁ」
 ケッと木場は呟く。
「そういえば、京極は堂島さんに使えていた時期があったな」
 関口の言葉に、京極は溜息をつく。
「あの人の考えに嫌気がさした。役職を捨てて、こうした隠居生活をしているのも、彼とのいきさつが
色々とあって……」
「色々?」
「色々というのは……一言ではくくれやしない。ざっと講談社文庫の頁を二〇枚埋め尽くしても過言で
はないだろう。関君、君は僕の過去がそんなに聞きたいかね」
「いや、いいよ」
「冷たい人間だな、君は。そこまであっさりした返事が、その口からでるとは思わなかったよ。そもそ
も、君は人の過去を気にしている場合じゃないだろう?人の過去よりも、自分の過去を振りかえたま
え」
「どうせ、僕は……ぼそぼそ」
 関口、口先をとがらせながらも、ちょっとばかり鬱になる。過去をちらりと思い出してしまったらしい。
 なんだか沈んでゆく戯作者に、同心木場と岡っ引き益田は同時に溜息をつくのであった。



 静かな江戸の町の夜、響き渡る下駄の音。
 黒の着流し、黒の羽織、闇に浮かぶ星模様。
 黒の襟巻き翻し、提灯片手に京極堂は今日も行く。
 江戸の町を今日も行く。
 

「しかし、お代官様。あの者をここに呼び寄せて何になるというのです?」
 戯作者久保竣公の問いかけに、堂島代官含み笑いをする。
「あの男は何かと役に立つ。私の技を唯一受け継ぐ者」
 言いながら、堂島代官久保が注いだ酒の猪口に口をつける。
 代官屋敷の石庭に、血のような赤い紅葉が一枚、二枚舞い降りた。
 その時である。

からーん、ころーん 
からーん、ころーん

「何奴?」
 久保ははっと庭の方を見て、誰何する。反射的に代官からもらった箱を大事そうに抱えながら。
 代官の方は、予期していたのであろう。悠然として、新たな来客に声を掛ける。
「遅かったな、中禅寺。しかも鬼太郎さながらの御登場で」
 おかしそうに笑う堂島代官。
「鬼太郎は関係ありません。敦を返してもらいましょうか」
「その条件が何かは分かっているだろう?中禅寺」
「分かりませんね」
「シラを切るというのは、条件を飲まないとみなすことにするが?」
「お好きな方の解釈で」
 淡々と言う京極堂に、堂島代官は軽く息をついて立ち上がる。
 そこに、旗本次男の榎木津、同心の木場に青木。そして敦の危機を聞きつけた鳥口に、岡っ引き益
田も代官屋敷に駆けつけた。
「役者もそろった所だ。四五分の殺陣はやはり醍醐味であろう。者ども出あえ!」
 時代劇の乱闘場面が、時間帯で言うと四五分頃がお約束なもので、人はこれを四五分の殺陣と呼
ぶ(かどうかは分からない)。
 代官が命じたと同時、タイミング良く出てくる代官配下。 
 忽ち代官屋敷は乱闘となる。華麗な峰打ちを次々と繰り出す榎木津。刀は使わず侍の顔面を殴り倒
す木場。十手を振り回す益田。そうして、競うように敦を救出する青木、鳥口。
 特に榎木津と木場の活躍により、乱闘は一刻で収まった
 堂島代官は、低く笑った。
「さすがだな中禅寺」
「……僕はこれといったことは、まだしていませんが」 
「私が作り上げてきた実験結果は、この江戸の社会に置いても着実に根付いている。やがてこの日
本に巨大な影響をあたえることになるだろう」
 そう言って、堂島代官は傍にある障子を開ける。するとそこには、ぶつぶつと何かを呟きながら、暗
く読み物に読みふける戯作者、関口と箱に頬ずりをする久保の姿が!
 傍には本を片手に持った美しい少年の姿があった。
「やや!猿の奴、いつの間に」
 驚く榎木津に、木場もいぶかしげに関口の傍にいる子供を見る。
「何だ、あのガキは」
「この藍童子は貴様の手口を仕込んだ。先行きが楽しみだと思わないか」
 堂島代官、おかしそうに笑う。
 そして、藍童子と呼ばれた少年も。
「中禅寺さん、私はあなたの技をつかい、あなたの友人をこのような姿にしてみました」
「そこのガキ、関口はいつもそんなもんだぞ」
 自慢げに言う藍童子に対し、榎木津ばっさり切り捨てる。
「な、何を言う。いつもと暗さが違うはずだ!しかも、こいつは戯作者。暗く読み物を書くことはあって
も、読むことはないはず!」
「ないことはないと思うぞ」
 やや向きになるお子様に、榎木津あっさり受け流す。
  しかし堂島代官は、関口の方を一瞥し、京極堂に問いかける。
「中禅寺、お前になら分かるだろう?この者がいつもと異なることくらい」
「……」
「この者を手元に戻したくば、条件は分かっているだろう?」
「僕があなたの元へ戻れば良いわけですか……」
「その通り」
「今の関口君のような本漬けとなった人間を、増やすつもりですか」
 京極堂、深い溜息をつき、一人の男の方へ目をやった。
「ちなみに、そこの男には通用しなかったみたいですね」
 箱をぎゅっと抱きしめる男、久保を指さす京極堂に堂島代官、苦笑いをする。
「奴は本よりも匣がいいらしい」
 京極堂は溜息を着いてから、堂島代官をにらみ据えた。
「本を読むことは悪いとは言いません。ですが、今の関口君は本に憑かれた状態だ。物語に飲み込
まれ、非現実の世界に身も心も埋もれきっている。やがて現実を完全に見なくなってしまう。……そう
やって何人もの人間を追い込んできたか。あんたは現実に怯える人間をみて随分と楽しんでいたご
様子でしたが、僕は反吐が出る気分でしたよ。あなたのそういった所が気に入らず、ここを出た……
関口君!」
 京極堂の声に。
 それまで本と目をくっつけるようにして、読書に勤しんでいた関口は、はっとして顔を上げた。
 藍童子、驚きに目を見張る。
「ば、ばかな!」
「え……どうして僕はここに??」
 きょろきょろと関口は辺りを見回す。庭にはばったばった倒れたお侍に、京極堂や榎木津たち。そ
れに傍には子供もいたりで、何が何だか分からない。そういえば、町でそこの子供に声を掛けられた
のは覚えているが。
「馬鹿者!この猿!我々の足をひっぱりおって!!」
 きょとんとする関口の腕を榎木津は引っ張る。
  藍童子は信じられないのか、首を横に振った。
「そ、そんな。僕の催眠が利かなかったというのか?」
「あのな、坊や。君は魍魎の匣(京極夏彦著・講談社文庫)をどれくらいの時間をかけて読む?」
「一気に読んだら、丸一日」
「僕は、朝から読んだら、午前中には読み終わる。その程度の読書力で、常に僕の傍にいる関口君
を洗脳しようというのは無理な話だ」
「う……分かるような、分からないような」
 いささか強引にねじ伏せられたような気はしたが、何も言い返せずにいる藍童子に、堂島はさらに
愉快そうに笑うのだった。
「くくく、今日の所は中禅寺、お前の貫禄勝ちといったところかな」
「もう、ここには来ませんよ」
「おまえも所詮は我々と同類……またここにくることになるだろうよ」


   こうして、堂島代官の不気味な笑い声を背に、一行は屋敷を後にしたのでございます。
 とりあえずは、妹お敦、ついでに関口も助け出されて一件落着。
 京極堂、妹の肩を優しく叩き、そして関口は、榎木津にど突かれまくるのでありました。。
 しかし、いつかは堂島と。
 そんな思いを胸に代官屋敷を振り返らずに歩きだす京極堂でございました。


「てぇへんだ、てぇへんだ、てぇへんだぁぁ!」
「おう、どうしたんだ益公」
 いつものように、飛び込んできた益田に、木場がキセルを吹かせながら尋ねる。
「猫が溺れているんです!今度こそ、ここの石榴じゃないかと思って」
「石榴なら、僕の膝の上にいるよ」
 本から目を離さぬまま、京極堂が答える。
「あ……な、何だぁ」
 ほっと息をついて、思わず額をぬぐう益田に、木場は呆れる。
「おめぇは猫が溺れるたびに、ここに来るのか」
「そ、そんなことないですよ。あ、それよりも知ってます?例の久保竣公、御用になったらしいっすよ」
「ああ北町奉行所の奴らが引っ捕らえた」
 南町奉行所に所属する木場は面白くなかった。
「それはまた、どうして」
関口は、読んでいた本から顔を上げた。読んだくり病から、立ち直ったのか、直ってないのか分から
ないが、彼は今まで以上に本を読むようになったという。
「ある屋敷から匣を盗もうとした所を見つかったそうで……しかも久保の家を調べたら、家中匣だら
け!しかも中には、金やら、書物やら、死体やら詰めるだけ詰まっていたそうで」
「ふ、ふーん……」
 口元を引きつらせる関口に、榎木津が大笑いしながら、その肩を叩いた。
「猿!感謝しろ。この僕が助けに来なければ、君は今頃匣の中だ」
「じょ、冗談言わないでくださいよ」
「あはは、冗談なもんか。猿はやっぱり檻の中に限るか。そうであろう、そうであろう。お前はいつもそ
うやって本に齧り付いたり、原稿用紙に齧り付いたりして自分の檻の中にいる。たまには檻から脱走
するがいい!」
「あ!榎さん、何をするんですか」
 本を取り上げる榎木津に、それまでぼそぼそ声しか出していなかった関口が声を上げた。
「京極、お前もだ!」
 同じように本を取り上げる榎木津に、京極堂は普段から不機嫌な顔が、さらに不機嫌なものとな
る。
「榎さん、僕とこの男を一緒にしないでください」
「傍から見たら同じだ!さぁ、今日は町へ出るぞ!」
「町へ?……いや僕はそんな気分じゃ」
「行くぞ!この猿!」
 乗り気ではない関口の襟首を引っ張り、古本問屋京極堂を出る榎木津。そして木場と鳥口もそれに
続いた。
 そして京極堂も。
 深い溜息をつきながらも、どこか居心地良さそうな、まんざらでもない笑みをふっと浮かべて立ち上
がった。
 
 
 今日もお江戸は日本晴れ。つかの間の平穏を楽しむ四人でございました。
 しかし、事件が起こった時には再び……。
 京極堂は晴明桔梗を胸に、江戸の闇を行くのでございます


      2002年12月28日 初版発行 新説 変態心理――怪にて掲載

 

 ★あとがき★

 京極堂戯作を読んで頂きどうもありがとうございます。
 これは冬コミにて出した同人誌(なのか?)に載せて頂いたものですが、上記の↑分は、一応HP用
に多少書き換えております。
 こういう話を書いてますが、私はれっきとした京極堂のファンです。京極堂大好きです。
 シリアスとか書きたいんですけど、書けないんですよねぇ。何かこっ恥ずかしくて。好きな作品ほどそ
うなってしまうんです。
 今回の話はまた無意味に時代劇ですが、そんな話でもちょっとは皆さんの骨休めになって頂けた
ら、とても幸いです。
 
 


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